他国の関与

あまり知られていませんが、オーストラリア、ニュージーランド、韓国、フィリピン、タイもベトナム戦争への参加を国際支援活動と位置付け「自由世界軍」として参戦し、米国の戦争を正当化しました。
オーストラリアにとって、第二次世界大戦以降では最大規模の軍事活動への参画でした。オーストラリア軍46,852人が就役し、死傷者は496人、負傷者は2,398人でした。
ニュージーランドはオーストラリアとの連合軍として臨時部隊を派遣し、1968年には最大規模の548人が駐留し、ブンタウの北側に位置するバリア近郊で活動しました。

南ベトナムの崩壊
1973年には、一部の技術者とCIA職員を残して、すべての米軍関係者がベトナムから撤退しました。北ベトナムへの爆撃が止まり、米国人捕虜も解放されましたが、南ベトナムによって戦争は継続されました。
1975年1月に、北ベトナム軍は、戦車や迫撃砲を使用した大規模な地上攻撃を北緯17度線以南の地域に開始しました。これまで米軍に依存していた南ベトナム軍は北ベトナムの侵攻に対してパニックを起こしました。同年3月に、北ベトナム軍は中央高地の戦略拠点バンメトートを占領しました。これに応じて、南ベトナムのグエン バン チュー大統領は、戦術的撤退により防衛を固める作戦に転換しましたが、結果として重大な失策となりました。
南ベトナム軍の全旅団は崩壊し、多くの兵士が南方に逃亡し、同じく南方に向かう何十万人もの市民と合流して国道1号線が人で溢れました。フエ、ダナン、クイニョン、ニャチャンは放棄され、南ベトナム軍の逃走に北ベトナム軍はほとんど追いつけない状況でした。
グエン バン チューは1967年に大統領に就任し、1975年4月21日に辞任した後に亡命しましたが、不当な数百万ドルもの富を手にしたとも言われています。北ベトナム軍はサイゴンに侵入し、1975年4月30日の朝、戦車でサイゴンの独立宮殿(現在の統一会堂)の門を突破しました。ズオン バン ミン大統領が降伏し、戦争が終結しました。同大統領が就任してから42時間後のことでした。

最後のアメリカ人は、南ベトナムが降伏する数時間前に、ヘリコプターで米国の大使館の屋根から沖合に停泊する船に避難しました。米海兵隊がヘリコプターに群がるベトナム人を追い払うシーンは象徴的で、世界各地で報道されました。そして、四半世紀以上に渡る米軍のベトナムへの関与は終わりました。なお、米国は戦時中に、北ベトナムと戦争状態にあること認めた発言は一度もしませんでした。
ベトナムから撤退したのは米国人だけでばなく、南ベトナムの崩壊と同時に135,000人ものベトナム人が亡命しました。亡命者の数はそれから5年間で、少なくとも50万人に上りました。海上に逃れた人々は、「ボート ピープル」と呼ばれ、南シナ海の危険な旅に乗り出し、海賊による強姦や暴行、激しい嵐に生命を削られながらも、何とかオーストラリアとフランスなどに辿り着き、新たな人生を見つけました。

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