内乱時代の幕開け

内乱の時代
17~18世紀は内乱のためにベトナムが南北に分断されていました。北部には後に黎王になる強大な力を持ったチン氏がおり、南部には、北部王朝に従順なように振る舞いながらも実効支配をするグエン氏がいました。強大な力を持つチン氏は何度もグエン氏を制圧しようとしましたが、チン氏が保有するポルトガルの兵器が、オランダがグエン氏に供給した兵器より劣っていたため失敗に終わりました。一方で、グエン氏は南方へ領土を拡大し、クメールが支配していたメコンデルタを占領しました。

タイソン党の乱
1765年にクイニョン近郊のタイソンで暴動が起こりました。後にタイソン党の乱として呼ばれる暴動で、グエン兄弟が先導し、10年に満たない期間で彼らはベトナム中部地域全体を支配するようになりました。1783年、グエン兄弟はグエン氏が支配していたサイゴンを制圧し、王子とその家族を殺害しました。その後、グエン兄弟のうち、グエン ルが南部を支配し、グエン ニャックが中部を支配しました。
タイソン党の乱はその後も北部のチン氏を討伐しました。チン氏は中国に働きかけ、中国が介入しましたが、グエン3兄弟の三男のグエン フエは、自ら皇帝クワン チュンと宣言し、1789年にドン ダで中国軍に圧倒的に歴史的勝利を収め、再び中国を撃退しました。
一方、南部から先の支配者グエン氏の生き残りであるグエン アインがグエン兄弟の反乱軍に対する抗戦を開始し、次第に反乱軍を撃破していきました。グエン アインはハノイを制圧し、1802年にザー ロン皇帝と宣言、グエン王朝が始まりました。2世紀に渡る内乱は収束され、ベトナム全土が統一され、フエが新首都になりました。

グエン王朝の長期政権
ザー ロン帝は、その地位を盤石にするために儒教の価値観に立ち返り、かつてのエリート層による統治を復活させ、タイソン党の乱で乱れた秩序を取り戻しました。
ザー ロン帝の息子のミン マン帝に引き継がれると、ミン マン帝はカトリック教を儒教に対する脅威と見なし、西洋の影響があるものすべてを敵視する鎖国政策をとりました。
グエン王朝の初期の皇帝たちは、先代からの領土拡大政策を引き継ぎ、カンボジアや西方に広がる山岳地帯に侵攻しました。その領土はラオスやタイにおよびクメール王国を脅かしました。