フランスによる植民地化の始まり

1847年にフランスはベトナムでの軍事活動を開始しました。ティウ チ帝がカトリック宣教師を抑圧したことに対し、フランス海軍がダナン港を攻撃したのです。1859年の初めにサイゴンが占領され、1862年にトゥ ドゥック帝はコーチシナ東部3州をフランスの直轄領とする条約を締結しました。その後の40年間、フランスは手当たり次第にインドシナの植民地開発を行いました。フランスは何度も頓挫しながら、無茶な開発を続けました。
1872年になると、実業家ジャン デュピュイが紅河を経由して中国 雲南省の軍人に塩と武器を供給するために軍を動かし、ハノイを占領しました。フランスは軍人のフランシス ガルニエをデュピュイを拘束すると見せかけて派遣し、デュピュイに代わってガルニエに北部を制圧させました。
1883年、トゥ ドゥック帝の死去から数週間後、フランスは首都フエを攻撃し、グエン王朝にフランスがベトナムの保護国となることを認めさせました。宮廷内では、クーデターや謎に満ちた皇帝の死、フランスの圧力外交が絡んで、王位継承をかけた悲劇的な闘いがありました。
1887年にフランス領インドシナ連邦が成立し、ベトナムの独立は失われましたが、フランス統治期間中にも各地で様々な抵抗活動がありました。また、植民地化により、ベトナムの拡大政策は終了し、カンボジアとラオスの領土は強制返還されました。
フランスの植民地当局は、サイゴン-ハノイ間の鉄道建設などで雇用を促進させ野心的な公共事業を実施しましたが、その資金は現地の農民から重税を徴収して賄ったため、地域経済を破壊する結果となりました。フランスは植民地支配を通じて現地に利益を還元すると主張しましたが、ベトナム人労働者への低賃金と劣悪な労働環境により、フランスへの不満が高まりました。例えば、1917年から1944年の間に、ミシュラン社のゴム農場で働いた契約就労者45,000人のうち、12,000人が病気と栄養失調で死亡しました。