レー ロイの登場

1418年、地方豪族のレー ロイは、国内を旅しながら、すべての財産を注いで兵力を結集し、1428年にラムソン蜂起を起こして、中国を撃退しました。その後、レー ロイは黎王朝を創立し、自らを皇帝と宣言しました。レー ロイは今日でもベトナムで高い人気を誇る英雄です。
レー ロイが中国に勝利した後、レー ロイの軍事顧問となっていたグエン チャイは、有名な独立宣言である平呉大誥を記しました。平呉大誥にはベトナムの激しい独立精神が書かれており、6世紀後に国家主義が勃興した際にも引用されました。

「おもうに我が大越国は実に文献の邦(文明の国)たり、山川の封域(領域)は既に深くして、南北(ベトナムと中国)の風俗また異なる、趙丁李陳(ベトナムの各王朝)の我が国を初めて造れるより、漢唐宋元(中国の各王朝)と各々一方に帝たり(それぞれに皇帝がいた)、強弱は時によりて不同ありといえども、豪傑は世に末だかつて乏しからず(英雄に事欠くことはなかった。)」
レー ロイとその後継者たちはチャム人を南方に追いやり、チャンパ王国を滅亡させました。また、ラオスの東部地域もベトナムへの従属を強いられました。

そしてヨーロッパ人の到来がありました。
最初にベトナムを訪れたヨーロッパ人は、1516年にダナンに上陸したポルトガルの船員で、その後すぐにドミニコ会の宣教師がやってきました。その数十年後にポルトガルはベトナムとの交易を開始し、また、日本人と中国人がファイフォ(現代のホイアン)に商業入植地を作りました。400年間スペインに占領されたフィリピンを除けば、ベトナムはアジアの国々の中で最もカトリック教の影響を受けた国です。