ベトナム戦争のターニングポイント

1968年1月、北ベトナム軍は、非武装地帯のケサンで大規模な攻撃を開始しました。これはベトナム戦争で最大規模の戦いでしたが、南ベトナム軍にとってはテト攻勢から米軍の注意を逸らすための大きな罠でした。
テト攻勢は、ベトナム戦争での決定的なターニングポイントでした。1月31日の夜は、南北ベトナムともに旧正月を祝賀するものと思われましたが、南ベトナム解放民族戦線はサイゴンを含む100か所の都市や町を一斉に攻撃しました。テレビ中継で、南ベトナム解放民族戦線にサイゴン市街地にある米国大使館の中庭が占領される様子が移されました。
米軍はケソンの戦いに注力する中で、テト攻勢を受ける形となりました。テト攻勢は米軍にとっては想定外でしたが、南ベトナムと米軍は、すぐに爆撃と砲撃による強力な反撃を展開しました。攻撃の対象はジャングルだけではなく、人口密集地域にも及びました。米軍は反撃によって、南ベトナム解放民族戦線を撤退させることはできましたが、民間人の被害者を出してしまいました。南部ベンチェ省では米軍将校が「町を救うためには破壊するしかなかった」と苦渋の表情で説明しました。
テト攻勢により、米軍は約1,000人、南ベトナム軍は約2000人の死者がでましたが、南ベトナム解放民族戦線の死者はその10倍を超える約32,000人でした。前の週のケサンの戦いは米軍は約500人、南ベトナム軍は約10,000人の犠牲者がありました。
テト攻勢は南ベトナム解放民族戦線が敗北しましたが、結果としてベトナム戦争で勝利する上での重要なターニングポイントとなりました。米軍はそれまで勝利は目前だと豪語してきましたが、サイゴンで起こった戦闘と混乱がテレビ中継され、アメリカ人の多くが誇大宣伝を信じることをやめました。米軍関係者は勝利を確信していましたが、米国民にはベトナム戦争による犠牲者の拡大が容認できないレベルに達していたのです。戦争に支払う代償に米国民が耐えられなくなったため、テト攻勢は最終的に南ベトナム解放民族戦線の勝利に貢献する結果となりました。
これと同時に、ソンミ村虐殺などの非武装の民間人に対して行なわれた米軍による残虐行為も明らかになり始めたことにより、米国ではこの状況を転換するために反対派政党が連立を組みました。また、反戦デモがアメリカの大学で発生し、キャンパスから通りまで反対派が集結しました。