歴史に見る中国との関係

中国による1000年の支配
中国が紀元前2世紀に紅河デルタを征服して以来、多くの入植者、官僚、学者たちが統治を強化するためにベトナムにやってきました。
地域の指導者の中には中国に対する不満を持つ者もあり、西暦40年には、チュン姉妹(ハイ バー チュン)が反乱を起こし、中国総督を逃亡に追い込み、チュン姉妹は独立したベトナムの女王になったことを宣言しました。西暦43年になると中国側は反乱鎮圧軍を派遣し、チュン姉妹は激戦の末に敗北し、ハットザン川に身を投げました。3世紀から6世紀にかけても中国の圧政、強制労働、搾取に対し、数多くの小規模な反乱がありましたが、すべてが鎮圧されました。
この時代、ベトナムは中国とインドの間の海運の重要な拠点港であり、中国は儒教、道教、大乗仏教を、インドは上座部仏教をベトナムにもたらしました。それらの信徒たちは信仰だけではなく、科学や医学の知識もベトナムに広げたので、ベトナムからも偉大な医者や植物学者、科学者が誕生しました。
初期のベトナム人は、中国から堤防の建設や灌漑工事などの多くを学びました。これらの技術革新によって、稲作が「命の糧」となり、今日に至ってもベトナムの生活基盤となっています。食糧の生産能力の増加に伴い、人口も増加したため、ベトナム人は新たな土地を求めるようになり、西側の険しいチュンソン山脈を避けて、南方へ向かいました。

中国からの解放
10世紀初めになると、中国の唐王朝が衰退したため、ベトナム人は長年の中国の支配から脱するために反乱を起こしました。938年に、愛国者で知られるゴー クエンが、バクダン河(白藤江)の戦いで中国軍を破り、1000年の中国統治を終結させました。しかし、これがベトナムと強大な北の隣国との最後の戦いとはなりませんでした。
11世紀から13世紀にかけて、リー タイ トーが創設した李王朝は盤石な統治によって独立が守られました。李王朝時代も中国やクメール王国、チャム王国がベトナムに侵攻してきましたが、すべて撃退されました。また、ベトナムは南方への進出を続け、着々とチャム王国の領土を統合していきました。
13世紀半ばになると、モンゴルのフビライ ハーンが中国を統一し、続いて、チャンパ王国に侵攻するという口実で、ベトナムに領土を横断する権利を要求してきました。これをベトナムが拒否すると、モンゴルは50万の軍勢でベトナムに侵攻してきました。ベトナムは、伝説の将軍チャン フン ダオがモンゴルに立ち向かい、バクダン河の戦いで後世に語り継がれる歴史的勝利をおさめました。

中国の復権
中国は15世紀初頭に再びベトナムの統治権を奪取し、ベトナムの公文書と知的財産を中国に持ち去ってしまったため、ベトナムは修復不能なレベルまで文明を喪失する事態に陥りました。1407年以降、中国はベトナムの国土をほぼ制圧し、重課税と強制労働を強要しました。この時代に、詩人のグエン チャイ(1380-1442)は次の言葉を残しました。
「東の海の水を使い果たしても、不快感を洗い流すことはできない。南の山脈の竹を使い果たしても、全ての罪を記録することはできない。」

ベトナムの黎明期

ベトナムには人の心を揺さぶる豊かな歴史があります。ベトナムはアメリカとの戦争で注目を浴びましたが、その何世紀も前から中国、クメール、チャム、モンゴルとの争いの歴史が続きました。ベトナムは、中国の支配下にあった1000年間で同国から高度な文明を受け継ぎました。その後はフランスの植民地になりましたが、20世紀の後半になるまではベトナムが歴史上の表舞台に登場することはありませんでした。アメリカとの戦争は、それまで何世紀にも渡るベトナムへの侵略の歴史の最後の闘いでしたが、アメリカが何をしても、どれだけ長期戦になっても、ベトナムが屈することはありませんでした。当時ワシントンにいた指導者たちがこれから述べるベトナムの誇るべき歴史を少しでも学んでいれば、ベトナム戦争の悲劇と傷はこれほど深くならなかったのかもしれません。
ベトナムに行ったことがあれば、どの都市にも同じ名前の「通り」があることに気が付くと思います。その「通り」には、2000年以上もの間、外国からの侵攻を食い止めてきたベトナムの英雄たちの名前が記されており、その偉業は綿々と続く世代に引き継がれてきたのです。

ベトナム北部では、およそ50万年前にすでに人類の営みがあったことが最近の考古学研究で分かっています。1万年前には同じ北部地域で新石器時代になり、紀元前7000年には初期の農業が早くも始まりました。銅鼓で知られる青銅器文化のドンソン文化は、紀元前3世紀頃に現れました。
西暦1〜6世紀にかけて、ベトナムは南部は精巧な芸術と建築で知られるカンボジアのインド系王国の扶南に属していました。この王国はクメール人からはノコア プノンと呼ばれ、王国の中心は現在のカンボジア タケオ州の近くにあるアンコール ボレイに築いた防壁に守られていました。扶南人は交通と稲作の灌漑を目的とした緻密な用水システムを構築し、メコンデルタのオケオには港湾都市を持ち、中国やインドネシア、ペルシャ、地中海沿岸地域と交易をしていたことがわかっています。
現在のダナン近郊には西暦2世紀後半にヒンズー教のチャンパ王国が興りました。 チャンパ王国は扶南と同じく、サンスクリット語を使い、芸術や文化もインドの影響を強く受けました。8世紀になると、チャンパ王国は南方の現在のニャチャンやファンランの周辺にまで拡大しました。チャム王国は好戦的で、インドシナ各地を襲撃し、北部のベトナム人と南部のクメール人は常に戦争状態にありましたが、次第にチャム王国にとって戦争が重荷になり、南北を大国に挟まれることにより力を失っていきました。ダナンのチャム彫刻博物館にはチャム王国の彫刻品が展示されていますので、訪れてみて下さい。

ベトナムに訪れたら街歩きを楽しんで欲しいです。

ベトナムの歴史が好きですと街歩きはとっても楽しくて健康的なアクティビティだと思います。
その理由はベトナムの偉人の多くが街の名前や通りの名前になっていることです。日本では結構珍しいことですが、海外ですとイギリスやオーストラリアでもよくあるんです。ただ私が訪れた国の中でベトナムだけは、地名や通りとその名前に意味合いが強いんです。
私が日本語を教えているクラスのベトナム人に何度も情熱を持って語っているのですが、口をぽかんと開けて「だから?」みたいな顔をされます。ベトナムの歴史が好きな外国人からすると、感動するものがあります。
正直、ハノイは地図だけで楽しめると思うので、歩くのであればホーチミンの方がオススメです。

歩く時間が取れない方には現地で住んでいる人のブログは参考になります。
ベトナム現地採用ブログ
サイゴンワーク – ホーチミンで現地採用として働く人のブログ

オススメポイント

ハイバーチュン。ベトナムで働いている日本人じゃなくても、ベトナムに訪れたことがある人はハイバーチュンという言葉を聞いたことがあると思います。ホーチミンですと、ハイバーチュン通りは市内中心部から郊外へと伸びる通りで最長とも言われるほど長い通りです。ハノイですと、最大とされる区でベトナム有数の大学が集まっています。
最長と最大を聞いてわかる通り、ハイバーチュンに対するベトナム人の敬意はすごいんだと思います。
ちなみにハイバーチュンとは、チュンソクとチュンニを合わせてチュン姉妹と言う意味があります。彼女たちは、当時ベトナムを支配していた後漢に対して反乱を起こしたことで有名です。そして、後にベトナムのジャンヌダルク(生年はジャンヌダルクの方が後)とも呼ばれ、ベトナム人のプライドの象徴ともなっています。
姉 チュンソクに関しては数々の伝説を含めて色々と情報があるものの、妹 チュンニに関しては出生すらも定かになっていないんです。