ハノイの歴史

ハノイの土地には新石器時代から人が住んでいます。リー タイ トー帝は1010年に首都を現在のハノイに移転し、タンロン(昇竜)と名付けました。2010年にはハノイ生誕1000回目の記念行事が行われました。1802年にグエン王朝を創設したザー ロン帝はフエを首都としたので、1世紀の間ハノイは一地方都市に降格しました。
ハノイはこれまでドンキン(東部首都)など何度も名前が変わりました。ヨーロッパ人は現在でもベトナム北部地域をドンキンに由来したトンキンと呼んでいます。1831年にトゥ ドク帝によってハノイ(川が曲がりくねった都市)と名付けられました。1902年から1953年まで、ハノイはフランス領インドシナの首都でした。
ハノイは1945年の8月革命の後、ベトナムの首都と宣言されましたが、1946年にフランスに再び植民地化された後、1954年のジュネーブ合意でベトナムに復帰するまで、世界で正式に認められた首都ではありませんでした。
ベトナム戦争の間、米国の爆撃はハノイの一部を破壊し、何百人もの民間人が犠牲になりましたが、破壊された場所は今ではほとんどが修復されました。米軍の主要なターゲットの1つは、1682mのロンビエン橋で、1888年から1902年にかけて、パリのエッフェル塔を設計した同じ建築家が建設しました。米軍はこの戦略上重要な橋を何度も爆撃しましたが、その度にベトナム人は修理して、道路と鉄道を復旧させました。米国人捕虜が橋を修理する作業に従事させられるようになると、米軍は攻撃をしなくなったと言われています。